インターネット美術館 【インターネット美術館・世界の名画】
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番 号:100-aa-010
画家名:アレクサンドル・カバネル
作品名:有罪者で毒をテストするクレオパトラ
Cleopatra Testing Poisons on Condemned Prisoners 1887  
画 像:
【絵画解説】 
有罪者で毒をテストするクレオパトラ
Cleopatra Testing Poisons on Condemned Prisoners 1887  
サイズ: 87 cm × 148 cm  アントワープ王立美術館蔵
作 者:アレクサンドル・カバネル

 一般に美女の誉れ高いクレオパトラとは、ギリシャ・マケドニア族の出身のクレオパトラ7世のことで、アレキサンダー大王の死後エジプトを支配したプトレマイオス朝の最後の生き残りと言えます。
 彼女は、ギリシャ人でありながら、ギリシャ語でなくエジプト語を話し、自らをエジプトの女神イシスの生まれ変わりと称しました。
 父と姉が権力争いで死亡したため、自分と弟でエジプトを共同統治していましたが、弟との権力争いなども起き、ローマのカエサルの後ろ盾などもあり、権力の座に引き続き就き、時にはローマ帝国の権力争いにも加わるなどしました。
 その後、ローマ帝国内で、彼女が支持するアントニウスと敵のオクタウィアヌスが戦争を起こし、アントニウスは敗北していき、クレオパトラも捕らえられ自殺します。
 彼女の死後、エジプトは独立を失いローマ帝国の一地方となります。
 彼女は、エジプトの生き残りにはローマとの同盟しかないと考えていたようで、権力争いや対外交渉では、彼女の美しさをフル活用して乗り切っていたようです。

○クレオパトラの毒薬実験
 クレオパトラは、エジプトコブラなど色々な動植物の毒薬の実験を行い、その効果、死に至らしめる投薬量、苦しむ様などを調べていたようです。
 彼女自身最後は、自殺することになりますが、その毒薬を用いることになります。

  
   
 
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