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画家名:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
作品名:クレオパトラの晩餐 he Banquet of Cleopatra
画 像:
【絵画解説】 
クレオパトラの晩餐 The Banquet of Cleopatra
サイズ: 250 cm × 357 cm  ビクトリア国立美術館(メルボルン)蔵
作 者:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ

 一般に美女の誉れ高いクレオパトラとは、ギリシャ・マケドニア族の出身のクレオパトラ7世のことで、アレキサンダー大王の死後エジプトを支配したプトレマイオス朝の最後の生き残りと言えます。
 彼女は、ギリシャ人でありながら、ギリシャ語でなくエジプト語を話し、自らをエジプトの女神イシスの生まれ変わりと称しました。
 父と姉が権力争いで死亡したため、自分と弟でエジプトを共同統治していましたが、弟との権力争いなども起き、ローマのカエサルの後ろ盾などもあり、権力の座に引き続き就き、時にはローマ帝国の権力争いにも加わるなどしました。
 その後、ローマ帝国内で、彼女が支持するアントニウスと敵のオクタウィアヌスが戦争を起こし、アントニウスは敗北していき、クレオパトラも捕らえられ自殺します。
 彼女の死後、エジプトは独立を失いローマ帝国の一地方となります。
 彼女は、エジプトの生き残りにはローマとの同盟しかないと考えていたようで、権力争いや対外交渉では、彼女の美しさをフル活用して乗り切っていたようです。

 この絵には、クレオパトラのご馳走というエピソードが描かれています。
  クレオパトラは、マルクス・アントニウスに晩餐の豪華さで勝負を挑みます。
 そしてマルクス・アントニウスは、クレオパトラが用意した料理を見て、自分がいつも食べている晩餐の方が豪華だと主張しました。
 しかしクレオパトラは、身に着けていた豪華な真珠をお酢につけかき混ぜて溶かし、ふるまいました。
 審判役のルシウスは、クレオパトラに軍配をあげました。
  
   
 
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